会議革命


会議革命

会議革命


 もうどんどん暴走しております。あれほど、想定読者から外れていると認識していたのに、ここまで来ると、どうこじつけても私向きではありません。
 子どもに伝えたい<三つの力> 生きる力を鍛える (NHKブックス)子どもの日本語力をきたえる ― 親子で読む『理想の国語教科書』なら、やや早めだけれどストライクゾーンなのですよね、遅蒔きながらやっと気づきました。もっと足下見なくては。
 とは言えストレス知らずの対話術 (PHP新書)の中で、繰り返し読め読めと言われたので、素直に従ってしまいました。


 一貫して思うことには、齋藤様のハードルはめちゃくちゃ高いです。その中でも本書は「革命」と銘打っているだけあって、かなり高い水準を要求しています。
 日本の各地で繰り広げられているであろう会議の現状を鑑みるに、齋藤様の提案は至極正論、まことごもっともで、会議にこんな革命を起こすことが出来たら、日本のシステムそのものがうまく行くんだろうと思います。


 きっと、誰もが「良いアイデアだ」「そうなったら理想的だ」と思う。でも。この「でも」が揺るぎない盤石で、さざれ石の巌となりて苔のむした日本そのものなんだろう。
 「齋藤くん、素晴らしい考えだと思うけど、現実的にはねぇ」「それが出来たらいいんだろうけどな」と肩を叩かれる齋藤様が目に浮かぶようだ。


 本気で革命を起こそうと思ったら、本が売れててテレビでもお馴染みの齋藤先生くらいじゃだめなんだろうな。かと言って、よしんば文科相になったとしても、現場の激しい抵抗勢力を御して行くのは並大抵のことじゃないだろう。


 幸島のサルの例もあるように、老いた雄ザル(殊に既得権益に与る)を変えることは至難の業だ。柔軟な若い世代とて、老害に邪魔され、その芽を摘まれていくだろう。となると、もっともっと下の世代を教育していくことで、徐々に世の中に浸透させて行くのが、草の根的ではあるが一番現実的なのだろうか。


 断言できるけど、この本だけでは日本の会議システムは変わらない。
 内容に感銘を受けた齋藤分子が全国に散らばって、日々繰り返される会議の無意味さ、時には害さえ及ぼされることに怒るだけだろう。
 ただその小さな小さな分子が、やがて少しずつ根を張り100年後くらいの日本の会議スタイルに影響を与えて、その時に「二十一世紀初頭に『会議革命』と題してこんなことを提唱した人がいる。今の日本の会議では当然行われていることの原点はここにあった」なんて、その頃の齋藤様的な人に引用されたりしてたらいいけどね、というくらいの期待は持ちたい。


 本当に私みたいなぐうたら主婦が読むのは畏れ多いっす。もっと世の中に貢献してて、某かの影響力を持ってて「俺(私)が日本を動かしている!」くらいの自負がある人、齋藤様の著書を読んでね。