婦人画報

 久々にどうでしょう、マダム御用達齋藤クン。
 今月のゲストは、女優であり梨園の妻である富司純子さんだったのですが、なんだか、良くも悪くも・・・まぁこの言い回しを使う時というのは、往々にして「悪くも」の方に重心が掛かっていたりするもので、私の趣旨もまた例に漏れないものなのですが、・・・ともかく婦人画報的に調和して来たな、という感じです。


 春には京都円山の桜を愛で、秋には嵯峨野の紅葉を愛で、萩・津和野に出向いては器を愛で、鎌倉では紫陽花を愛でる・・・いえ、婦人画報を隅から隅まで熟読している訳ではなく、実のところ、孝クン対談ページ以外、読んだことないので、全くのイメージなのですが、なにか「愛でている」印象なのですね。


 そんな優雅な奥様の知的好奇心をもくすぐるキャラとしての孝クンが、行儀よく収まっている10月号。
 連載スタート当初は、もっと「ミッション・パッション・ハイテンション!」を連発して、婦人画報にそぐわないのでは?と危惧したものなのですが。


 とは言っても、これ、ゲストのキャラに負うところも大きいかも。
 この対談を読む以前から富司純子さんについては、自己評価の低い人、という印象を持っていました。
 同じ梨園の妻でも扇千景の、今はすっかり小池百合子に押されて影が薄まったとは言え、まだまだ衰えない傍若無人な自己顕示欲(イメージ、あくまでも)とは、好対照を為す控えめ振り。


 控えめイメージの女優さんもいるけれど、そういう戦略の匂いよりも「梨園ではさぞかし苦労が絶えないのでしょうね」と見る者を同情させるオーラは女優としては逆にマイナスイメージでは?と思わせる、富司純子
 芸名の逡巡にもそれが表れている。海砂利水魚くりぃむしちゅーになったのとは、ベクトルが違う。高知東急→東生とも違う。おさる→モンキッキーとも違う。MIE→未唯とも違う。もういいや。


 なにしろ「声に出して誉めたい」なので、今回も齋藤クン誉めまくるのだけど、打っても打っても響かない。悉く謙遜バリアでばっさり。
 今までのゲストのラインナップを見てみると、黒柳徹子美輪明宏フジ子・ヘミング夏木マリ草刈民代(一部抜粋、順不同、敬称略)と、良くも悪くも(また出た!)自己評価の高い人が多い。前面に出しているか否かはともかくとして。


 だから、ホスト役の齋藤クンとしても、乗せやすくあしらいやすく、闊達なトークの様子が紙面からも伝わってくるポジティブ対談に仕上がっていたのだろう。
 パーフェクトな対談の名手に見える齋藤クンにも、弱点はあったのね。
 自己評価の低い人をどうその気にさせていくのかが今後の課題か。婦人画報的には、どうでもいいのだろうけど。


 ところで、このローテンションな対談中、一回だけ盛り上がりを見せたのが「にほんごであそぼ」について話している時でした。
 番組中で「白浪五人男」の「知らざぁ言って聞かせやしょう」を採り上げていることについて、梨園の妻として折り目正しく喜ぶ富司純子。自らの子育ての時にこんな番組があったらよかったのに、とも。


 それを受けて、「にほんごであそぼ」の今後の展望についても意欲を見せる齋藤様。
 ここ、本当にうれしくて、この語りを聞けただけでも、富司純子ありがとう、次回のしのぶのドラマ(あったらね)は挫折しないで最後まで見るよ、と思いました。


 この頃、齋藤様自ら総合監修を努める「ガチャガチャポン!」のみならず、民放各局が「教育をエンターテイメントする」に懲りだしているような流れ*1を感じるところで、とても良いことだと思うのだけど、齋藤孝監修の元祖「にほんご」はどうなるのか?と日記のネーミングにも浅からぬ縁を一方的に持つ私としては、気になっていたところだったので。


 例え齋藤孝は一時の徒花と散ろうとも、「にほんごであそぼ」はスタンダードとして継承して行ってほしいな、と思うのです。
 ありがとう、純子。

*1:ツヨポンの「日本の歴史」も面白かったですよ、まだ全部見てないけど。一応、スマヲタとしての一言。