上機嫌の作法

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)

 わりとあちこちで、レビューを目にするのだけど、齋藤様著書にしては珍しく概ね好評な様子なのは喜ばしい限り。
 「上機嫌」という技が好意的に受け容れられる背景には、やはり、機嫌に左右されて沈滞する職場、社会の気運があるのだろう。


 本書のコアな部分を一言で表すと、上機嫌は「技」、不機嫌は「癖」。
 つまり機嫌の善し悪しはコントロール可能であるということ。
 精神論じゃないところがいいのね。気分の持ちようでどうにでもなるという、心頭滅却すれば式の提言でなく、まず身体を柔らかく開いていくことで、心持ちも引っ張られるという上機嫌な身体を作るというアプローチなので、精神修養のような抽象的なことでなく、誰でもいつでも実践可能。齋藤孝ならではの視点が活きております。


 と、ここまでは別に齋藤孝を愛してなくても、いろんなとこでいろんな人が書いてることなので、もうちょっと見当違いに掘り下げてみましょ。

 
 この「上機嫌の作法」での提言の秀逸なところは、「技」として身につける、という点だ。常日頃から無条件に上機嫌であれ、と言っているわけではない。
 「技」ということは、仕事上、つまり公での自分をコントロールするということなのだと思う。無闇に私的な内の部分でまで上機嫌を技化されたら、なんかやだな。となんとなく違和感を持っていたのだけど、贔屓のスマブログ弁解SSSに書かれていた「不機嫌な中居さんが超大好物」を読んで合点が行った。そーそーそーそー。


 もしも上機嫌を技として身につけた齋藤孝が、自分の夫だったら…ととてもリアルに想像してみると*1最初の三ヶ月くらいは、楽しく生活できそうだけれど、だんだん「私に心の内を明かしてくれない」「あなたにとって私はなんなの?」なんて、いらん猜疑心の虜になってしまいそうで、疲弊します。妄想で疲れるなよ、って話ですが。


 まぁ要するに、無償の愛を注ぐ相手のことなら、機嫌が良かろうが悪かろうが、元気有り余ってようが体調不良だろうが、一切合切受け容れる、毒を食らわば皿までの心意気くらいの用意はあるってのに、勝手に上機嫌の仮面をつけられちゃ、こっちの立つ瀬がないのである。


 だから、最後まで読み終わって、「家庭でも上機嫌!」とか「恋人や伴侶にこそ上機嫌力!」のようなことが書かれていなかったのには、ちょこっと安心いたしました。
 一時のラブアフェアや軽いお付き合いなら、上機嫌で居続ける方がうまくいくのだろけど、長く添い遂げようと観念し約束したなら、上機嫌も不機嫌も呑み込んで、機嫌の直るツボなど探りながら一緒にいるというのもまた醍醐味かも知れない、よ。

*1:このくらいの妄想はご容赦の程を。三十路は妄想盛りらしいですわよ