はまる

 齋藤孝にはまっているのだと思う。根拠はシンプルにして確実。「齋」の字が書けるようになってしまった。惹かれる人の名前には敏感になるもので、野村萬斎に興味を持つと野村不動産の看板に目が留まり、キッコーマンの萬の印で醤油を選ぶということで、日常が萬斎ベースで動き始める。渡邉さん以外で「邉」の字が手本なしに書ける人にも思い当たるところはない、か?

 最初に読んだのは「日本語力と英語力」(齋藤孝斎藤兆史 中公新書ラクレ)。
 その中で齋藤氏の弁に強く共感して、「声に出して・・・」の人だよな、「にほんごであそぼ」の監修の人だよなと思ったのが、始まり。

 「にほんごであそぼ」は良い。何かと話題のNHK受信料をためらいなく払い続けるのは、この番組と「新選組!」があるから。
 番組スタートからほぼ毎日見続けている(同内容の繰り返し放映もあるので、おそらく全て見ているだろう)が、扱われるテキストがまた私好み。普通に国語教育を受けてきた人の全くぶれないストライクゾーンなんだろうけど。
 だから読んだことはなくても「声に出して読みたい日本語」もきっとツボなんだろうと漠然と思っていた。

 そして氏のHPを見て、お薦めブックリストの中にある「風呂上がりの夜空に」という書名を見た時に、いろんな歯車がかたかたと全てはまり、一気にスイッチが入った。齋藤孝はできる男だ。顔も好みだな。坂口安吾も好きらしい。卒論のテーマだったじゃない。・・・素地は出来ていたんだと思う。こうなると冷静な判断はできない。

 文章化することで、熱に浮かされている状態に風穴を開け、少しでも客観視することができれば、真っ当な日常生活も営みつつミーハー的齋藤道を堪能できるでしょうか。
 とりあえずの目標を「声に出して読みたい日本語」を声に出して読むまで、としたいと思います。
 なんとなく特別感がある著書なので、大事にとっておきたいのと、期待はずれで落胆したくないという矛盾を孕んでおります。
 大ヒット曲が必ずしも名曲とは限らないですから。コアなドリカムファンが好きなのは「LOVE LOVE LOVE」じゃない気がするし、福山ファンにとっての「桜坂」も同様なのではないかと思う。確実なサンプルもデータもないけれど。そして中途半端な時代遅れ感・・・