正しく書きたい日本語

 テキストが3冊だと開き直っているのもどうかと思ったので、書店に寄ってみる。この頃はたいていamazonで購入してしまうので、久しぶりの書店の空気がうれしい。けれど、幼児はともかくとして乳飲み子の方がおとなしくしていないので10分が限界。
 さすが出版界の寵児、齋藤様の本は一角にまとめてあるのでこんな私にも重宝です。


 限られた時間の中で選んだのは

子どもたちはなぜキレるのか (ちくま新書)

子どもたちはなぜキレるのか (ちくま新書)


 今までの3冊とちょっと毛色が違うのと、ブレイク前の著作を読んでみたかったのと。ともっともらしいことはいくらでも言えるけど、本当の理由はごく明瞭。背表紙に齋藤様の近影があるからです。近影といっても出版当時か。なかなか好みの表情でしたので。
 「カバー付けますか?」はもちろん丁重にお断り。カバーしては意味がありません。


 で、早速読み始めたのかというと、その前に「読書力 (岩波新書)」を読了。
 本を一気に読み終えないのが、昔からの癖です。面白ければ面白いほど、その本の世界を離れてしまうのが惜しくて、最後の1章くらいを読まないでしばらく寝かせてみます。
 殊に齋藤様の著書!と思えばその思いは強く、奇しくも齋藤様ご自身が「読書力」の中で繰り返し述べているように「著者が自分ひとりに向かって直接語りかけてくれているような」快感、やすやすと読み終えてしまうのはもったいない。
 次の本がいつでも読める状態に入ったところで、やっと穏やかに読み終えました。満足。


 ところで物色中につい禁断の「CDブック声に出して読みたい日本語【CD付】」に手を伸ばしてしまったのですが、「風の又三郎」についてのコメント部分で「野村万斎」という表記がありました。正しくは「萬斎」です。お父様は「万作」ですが。
 齋藤と斎藤と斉藤は違う!と考える私にとっては、大きな違和感がありました。「日本語」の美しさを訴えようとするなら、新字旧字の違いを、まして固有名詞を蔑ろにするのは頂けません。
 私が手に取ったのは6刷でしたが、私が到達する頃には「野村萬斎」さんでありますように。・・・って出版元に言えばいいの?