金曜日。「とくダネ!」出演でリアルタイム齋藤様を堪能できる日なのですが、コメンテーターという立場で浪費されている齋藤様を見るのは忍びなくもあります。
 どうなんでしょう、コメンテーター。「とくダネ!」はその日の内容に応じたゲストコメンテーターとの二段構えなので、更に微妙な立場であります。
 司会の小倉氏も番組の段取り等諸々鑑みつつ、「どうでしょう、齋藤さん」と適宜話を振っているけれど、ある専門分野での識者が、ワイドショーにおいて政治経済文化芸能社会事件オールラウンドで見解を示すことに意味はあるのかしら。


 先々週くらいにやっていた「ニッポンの教育を考える」シリーズも、番組側にとっては齋藤氏起用の、齋藤様にとっては出演受諾のエクスキューズになっていたような気がする、というのは穿ちすぎか。


 齋藤様も自分の役割についての、確固たる方向性をまだ模索中のように見受けられる。一度だけ振られる前の自主的な発言が見られたけれど、どこまで踏み込むべきが、どこで引くべきかの具合を推しているかのよう。
 もう少し場慣れしたら、全ての話題に如才なくコメントして、さくさくこなして行くようになってしまうのかと思うと、今くらいがちょうど良いとも思うのだけど。
 

 そんな中、今日の齋藤様が一番表情を輝かせていたのは、「70歳男、女子高生にストーカー行為で逮捕」という事件について語られていた時でした。
 「本気で愛があるなら、女子高生にとっては何歳までOKか」という小倉氏の問いに対して「24歳ですね」と妙に具体的に即答。特に根拠も示さず、笑いのうちにその話題は流れていったのですが、こういう所に食いつきます。


 彼の意図はともかくとして、24歳について思うこと。
 常々思っていたのですが、年を経る毎に自分の年齢を自覚しなくなっていく気がします。何かの手続きやアンケートで年齢欄に記入する時に「何歳だったっけ?」と思う程度。
 10代の頃はもっと「16歳の私」「17歳の私」を意識していたし、その年齢毎に勝手な意味づけや憧れみたいなものがあった。周りの友だちも同い年ってことが多かったから、余計に年齢に対する自覚がはっきりしていたのかも知れない。


 ではいつ頃から曖昧になっていったのかというと、間違いなく卒業後のことだと思う。
 大学卒業後、23歳、24歳くらいから、だんだん年齢がただ積み重なっていく数字に過ぎなくなり、30代に突入する前後には多少の感傷・感慨があるものの、明確に「私は○歳」を自分に刻んでこなかったので、感覚年齢は24辺りで止まっているのです。


 自分だけの感覚かも知れないこの年齢観を乱暴に齋藤様に当てはめて考えると、彼のようにポスドクを経てアカポスに就いた人には、余計この感覚が強いのではないでしょうか。

かなり強引な結論;
齋藤様は、無意識のうちに自らを女子高生のストライクゾーンに入れている。かも。