出世?

 「子どもたちはなぜキレるのか」を読んでいて「臍下丹田」という単語を目にした時に「齋の字が書けるってことは、臍も書けるってことだ」と思った。妊娠中にも書けなかった「臍の緒」「臍帯血」だって今なら書ける。書く必要もなかったのだが。


 ありがとう、齋藤様。と感謝の念を抱きつつ、ふと表紙に目をやるとそこには「斎藤孝」の名が。衝撃。
 あんなに熱く「齋藤と斎藤と斉藤は違う」と主張した私の立場は一体どこへ?


 自己弁護の為に無理矢理ひねり出したのは、中内功論法。ダイエー創始のカリスマ経営者であるが、彼の「功」の字は本当は旁が「力」でなく「刀」らしい。もちろん、そんな字変換したって出てこない。調べたことないけど、よっぽど分厚い字典引っ張ってこないと出てこないだろう。
 でも普通なら「功」でいいよね、と流されるであろうその字が、氏のカリスマ性により、刀の方で通って活字になっていることが多い。中内氏がただのおっさんだったらあり得ない話だけど、ただのおっさんじゃないので、黒といったら黒、刀って言ったら刀なんである。でも力の方がパワフルなイメージで(まんま)良さげなのに、どうして刀に拘ったのだろう。経済界の侍を標榜していたのか。


 で、齋藤様。こちらはもちろんこうして変換も出来る字ではあるが、実際書くとなると画数多いし、いちいち区別するのも面倒だよね、って斎藤や斉藤で間に合わせておかれるか、「いや、私は齋藤ですから」と一言申し添える発言力を持つかによって、アイデンティティが左右される。
 最初は「斉ト」だったのかも知れない。それが「斉藤」になり「斎藤」を経て、今や「齋藤」として権勢を誇っているのやも知れぬ。まさに齋藤サクセスストーリーと言わずして何と言わん。
 とどのつまり、これが出世の暁の姿。素晴らしい。


 「子どもたちはなぜキレるのか」が出版されたのは1999年8月。
 ではどの辺りから、クレジットが「齋藤」になっているのかと、amazonでイメージ拡大して調べてみたら、ほとんどが「齋藤」だった。「斎藤」なのは


子どもたちはなぜキレるのか (ちくま新書) ちくま新書 1999/08
「できる人」はどこがちがうのか (ちくま新書) ちくま新書 2001/07
身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生 (NHKブックス) NHKブックス 2000/08
子どもに伝えたい<三つの力> 生きる力を鍛える (NHKブックス) NHKブックス2001/11
生き方のスタイルを磨く (NHKブックス) NHKブックス 2004/06



 なんのことはない、出版社の方針の違いだったらしい。
 策士策に溺れる。ちょっと違うか。残念。