本の魔法

 昨日の余談。
 1500円なんて高い!と言っていた「婦人画報」を読んだのは、諦めて大枚はたいたわけではなく図書館利用でございました。目的を果たした後に、我慢強く待っていた娘に引っ張られて児童書のコーナーへ行くと、書棚に懐かしい本を見つけました。


セロひきのゴーシュ (福音館創作童話シリーズ)

セロひきのゴーシュ (福音館創作童話シリーズ)


 確か9歳のクリスマスの朝に枕元に置いてあった本です。
 自分で読んだ宮沢賢治はこれが初めてだったと思います。その前に「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」に母親が漢字にふりがなを振ってくれたけれど、結局読んでもらったような気がします。今思うとえらい手間なことをしてもらっていたものです。
 「星の王子さま」も幼稚園の年長の頃に初めて読みました。今でも「六つ」の傍らに母親の癖のある字で「むっ」と書かれていた最初のページを覚えていますが、何度も引っ越しを繰り返したので、いつの間にかどこかに紛れてしまい、もう手元にはありません。*1


 もとい、「セロひきのゴーシュ」。
 子どもにとってはかなり硬質な文章と、慣れない言い回しで、スムーズに物語の世界に入っていくことができなくて、厄介でした。
 宮沢賢治の童話は大人にとっても味わい深いですが、その分子どもにはすっと馴染めない雰囲気があると思います。普段なら簡単に読み終わってしまうはずの薄い本なのになかなか読み進められない。
 ませていた癖にわりと大きくなるまでサンタクロースは信じていたので、この本にはサンタさんの魔法が掛かっているから、簡単には読めないんだと勝手に納得して、他の本とは一線を画した畏敬の念のようなものを抱きました。


 折しもクリスマス前にあの時と同じ装丁の本を目にして、9歳のあのクリスマスの気持ちにトリップしました。
 読書歴って、人生の履歴の中でも大きなウェイトを占めると思えます。こんな本を読んで感動した、こんな本に影響されたという大切な自己形成の要素でのシンパシィ。齋藤様に感じ入る原点に再会したような思いでした。


 「私は宮沢賢治が大好きだ」(子ども版 声に出して読みたい日本語 1 どっどど どどうど 雨ニモマケズ/宮沢賢治あとがきより)というストレートな一文を繰り返し読んでにやにやしたのは、文学論や芸術学術的な匂いを取り去って「中也が好きなんだ」「犀星はいいよね〜」なんてさらっと話せる相手を渇望していたところに、染み通ってきた一滴だったのかも知れない。
 もっと生活に馴染んだところで本を読みたいものです。私も世の中全部も。
 ともあれ、本を読む行為からずいぶん離れていた気がする私を、ぐいぐい引き戻してくれたのは、齋藤様なのですよ。謹敬。

*1:「セロひきのゴーシュ」の方は今でも実家の本棚に健在です