まっとう

 百年の誤読、読了。
 「声に出して読みたい日本語」評を先に読んでしまいたい誘惑と戦い、勝ちました。かなり面白かったし、為になる本でした。
 読みたい本、読み直したい本が続出で、付箋を貼っていったら際限ない、どうしよう?と悩んだのも束の間、時代が進むと共にほとんど付箋不要になってしまったのが、悲しいかな、この百年の流れを如実に顕しているのかも。


 言いたい放題の一方で(多分、書評的にはこちらの方がクローズアップされるんだろうけど。面白いから)良いものは良いと絶賛もしていて、その目の確かさは信頼に値する、というより単に私の好きな作品がちゃんと評価されてたのにホッとしただけかしら。
 堀辰雄の「風立ちぬ」を目次で見たときは、悪辣に取り沙汰されていたら、立ち直れないので飛ばして読もうかと思ったくらいです。
 一冊だけ、私の感想と違っていたのは「ノルウェイの森」だったのですが、私に読解力がなかったんでしょうか。どこが良いのか全く分からなかったもの、とは言え当時中学生だったからな。読み直しリストに追加。


 ともあれ従来の評価に臆することなく、作品に向き合おうという姿勢は、本当に大きな収穫。だからこそ今「それから」読んでる訳だし。
 一年の始まり、それも再び生活に読書が戻ってきた今の私には相応しい一冊でございました。ありがとうございます、齋藤様。*1


 ところで、俎上に乗せられていた齋藤様の塩梅はというと、他のぼろくそに斬られた作家/作品を思えば、大健闘と言えましょう。
 「主張は正しいけれど・・・」の小見出しの通り、齋藤様の主張は、中島敦山月記」評の中でも岡野宏文氏が「齋藤孝さんじゃないけど『声に出して読みたい日本語』の美しさもあるわけじゃない?」と言及されていたり、概ね好意的に受け取られていました。


 そして「けれど・・・」に続くのは、採用された「名文」の定義がはっきり提示されておらず、教義的なにおいすらある、そして「齋藤さんの読書傾向の“まっとうさ”ばかりが際立つ本なんですよ」(豊崎由美氏)というお二人の感想。*2なるほど。


 この点に関してはいっちょかみ。
 その「まっとうさ」が胡散臭いと感じられる、説教臭いと遠ざけられることは、齋藤様ご自身、百も承知なのだろうと思う。その上で敢えて、まっとうであること、基本に忠実であることの大切さをもう一度認識し直そう、と提唱されているのではないでしょか。
 齋藤様著書も満足に読んでないのに代弁しようなんて畏れ多いことはつゆほども考えておりませんが。*3


 正論を主張するのが気恥ずかしいような風潮が今の世の中にはある。主義主張だけでなく、趣味趣向に関しても、ちょっと斜に構えたり、奇を衒ったりするのがかっこいいとされるような総サブカル志向のような流れ。
 みんながみんなねじれの位置にいるから、自分たちで勝手に絡まって訳分からなくなって、意味や価値自体が全く存在意義をなくしてしまってる。


 ここで一つ、基本に戻ってさ。良いものは良いって言おう!基本がしっかりできてると、その後何にぶち当たっても応用効くよ。・・・ってなこと、じゃ、ない?
 齋藤様半信者の、中途半端な理解ではこの程度なんだけどね。
 まっとう、結構。正論、かっこいいぜ。
 だからみんな「それから」読もうよ。私も早く読めよ、まだ半分も残ってるよ。
 あ、「くんずほぐれつ」はほぼ読了。それについては後日!

*1:12/31の日記にも書きましたが、アエラにて齋藤様が薦めてらした本なのです

*2:お二人ともそのまっとうさが良いとも悪いともおっしゃってはいないのですけどね

*3:だからいっちょかみなの