「頭がいい」とは、文脈力である。


「頭がいい」とは、文脈力である。

「頭がいい」とは、文脈力である。

 実は少し前に読んだので、読後まもなくのダイレクトな評ではありません、と断りを入れながら。


 数々のコンセプトを濫造し世に提唱し続ける、トレンドクリエイターならぬコンセプトクリエイター齋藤様。前者も相当胡散臭いけれど、後者もこのところの露出の多さも併せてそろそろまずいのでは・・・と手鏡注意報の一つも発令したくなる昨今。
 しかしながら、数ある「○○力」の中でも、「文脈力」は突出した一押し*1コンセプトである。


 何しろ世の中の森羅万象、というと風呂敷広げすぎだけど、少なくとも人事にまつわるあらゆることを「文脈力」で読み解くことが出来る。
 ご近所との諍いや友人との行き違いも「ああ、もう少しお互いに文脈力があればね」、理解不可能な言動の人も「文脈力がないんだな」と思えば納得もし、諦めもつく・・・かどうかはともかくとして。
 マイナス方向だけじゃない。なんだか人間関係円滑に行っている人の魅力も、分析してみたら文脈力に辿り着く。仕事が出来る人も然り。


 「声に出して読みたい日本語」*2よりもずっと汎用性に優れ、流行語・新語大賞を取ってもいいのになと思うくらいだ。この賞の意義はさておき。
 UNOのワイルドカード並みに使い勝手がいいので、下手するととくダネ!におけるコメントは全て「文脈力」で押し通すことも出来そうだ。
「近頃の小泉首相は文脈力の低下が著しいですね」
ライブドアとフジテレビはお互いの文脈に添わせることが出来ませんでしたね」
「中田のプレイには文脈力を感じますね」
・・・改編期を待たずに降板させられそうではあるが。


 本の内容に触れずに突っ走ってしまったが、この本の意味は「文脈力」のコンセプトが確立した時点で成立してしまっているので、読んだか否かより、「文脈力」を理解したか否かの方が重要だと思う。読了の価値なしと言っているのではないよ。内容がコンセプトに負けてる感はあるけれど。
 一応、理解しようということで読んでみるのもいいかも知れない。


 高校の時に同級生が「銀座の一流クラブのホステスになりたいから、そこそこの学歴を身につけたい。毎朝日経新聞に目を通してから出勤するの」と夢見がちに語るのを聞いて、田舎の高校生だった(その時点では彼女もそうだったけど)私にはコペルニクス的視点転換だった覚えがある。浅薄さゆえ、ホステスという職業と高学歴とを結びつける発想がなかったのである。
 卒業後、彼女は名門女子大に進んだと記憶しているが、残念ながらその後の進路については知りません。オチのない話で失礼。


 「世界一受けたい授業」(2/12 OA )では最も文脈力を必要とするのは飲み屋のママとしていた齋藤説を、あの時の彼女はもう既に感じ取っていたのだろうか。というのは深読みで、単にどこからか仕入れた知識の受け売りを、思春期の熱に浮かせて口走っただけのことかも知れない。
 でももしかして、今頃どこかで彼女が「この先生、分かってるじゃない」なんて齋藤様著書を手にしているのかもな、と思ってみたり。もしくはあの夢を叶え、小さいながら銀座の片隅に店でも持って、常連の齋藤様を「あーら、サーさんしばらく」*3なんて出迎えているかもね。

*1:私が勝手にね

*2:2002年度にトップテン入賞

*3:銀座のママのイメージ・・・貧困すぎる