八目から鱗

 原稿用紙10枚を書く力三色ボールペンで読む日本語 読了したのは、夫。


 不倫相手と配偶者が対峙するような緊張感。なんてのはないものの、遊びに来たボーイフレンドのことを、さりげなさを装った父親が「なかなか好青年じゃないか」などと評し、娘が自室に戻った後に「お父さん、新聞逆さまですよ」と妻に指摘される日常のひとこま程度の品定め感はあったのかも。


 しばらく前から、時間を見つけては齋藤孝を読み、何かって言うと「齋藤クンが言ってたけどさ」と引き合いに出すので、またなんか始まったという認識くらいは持っていたであろう夫。
 最近はCMにまで進出しているので「無節操に出過ぎ、本も出し過ぎ」などと口にしていたことはあったけれど、ジェラシーというような可愛らしい感情からではなく、事実に対してのバイアス抜きの感想だと思われる。
 私もそれが最大公約数的な見解なんだろうと否定するでも擁護するでもなく、ましてや読むことを勧めるようなこともなかった。夫にしても大好きなガンダムSEEDを見るように私に強要することはなかったし。


 しかしこの程、学生の書くレポートの不出来を余りにも嘆く夫に、参考になるかもよ、と「原稿用紙10枚を書く力」を紹介したところ、次に読もうと机に置いていた「三色ボールペンで読む日本語」と共に一気に読み終えた。なんだ、読みたかったんじゃないの。


 で、読後感は?というと、概ね「なかなか好青年じゃないか」の感触。
 いいこと言ってるし、なるほどと思うところもある。らしい。らしいじゃないや、私も早く読まなくては。
 ただ、読んだからと言ってすぐ一定レベルで10枚書けるほど飛躍的に文章力がアップするようなノウハウがあるわけでもなく、ある程度書ける人が「そうそう、そうだよね」と再確認するようなもので、書けない人には意味ないかなとのこと。


 更に付け加えて「同じネタ使い回してるよね。原稿用紙の方にも三色ボールペンのこと書いてたし。1冊読めば十分なんじゃない?」
 痛い。たった2冊にして齋藤問題の核心を突かれてしまった。


 これに関しては「うん、私もそう思ってる」と答えるしかない。冊数を重ねる度に「まだこの先も読み続けるべきか否か」と薄らかに自問しているくらいだから。
 意地か思慕か。
 ただ外野からの指摘で、輪郭が明らかになる問題もあって、傍目八目とはよく言ったもの。
 「私もそう思ってる」に続けて「だからどの1冊が一番いいのかと思って」と口をついて出てから、あぁなるほど、と自分でもう一度咀嚼した。


 はてな等の書評やレビューでも「どれ読んでも同じ」という言葉はよく見られるが、百歩譲って1冊読めばいいとしよう、なら、その最適な1冊は?と言及しているのは見たことがない。
 簡単に言い放って、分かってるような顔ができる便利な言い方だが、本当に「どれ読んでも同じよ」と言えるのは、きちんと全部目を通してる人だけのはず。その資格がある人は一体どれほどいるんだろう。 


 数年前の代ゼミのCMで“「現場に立ってしまえば、学歴なんて関係ないですよ」というその男、東大卒。東大出てから言ってみたーい!”というのがあった。
 私も全部読んでから言ってやる。「齋藤孝?どれ読んでも同じだよ」


 まずは掲出の2冊、行ってみよっ。いや、その前に「使える!徒然草」・・・道のりは長く険しい。