もう立て板に水。そして締めの笑顔もばっちり決まる。確実に自分のスタイルを体得したのが画面から伝わってくるので、物陰から見守る明子姉さんの心境から、教壇に向かって先生の講義を聞いている生徒のそれへとシフトして、内容がするするアタマに入ってくるようになって参りましたよ。

アタマをガツン!


ボクね、大学で先生やってるんだけど、一番寂しいのはね、反応がないってことなんだね。例えば、「みんな!ピタゴラスについて知っているかな?」って言った時に、シーンとかって、寂しいでしょ?ましてこう、内職とかされてると、もうそばに行って「やめろよ」って言ってしまいます。やっぱり、授業って言うのはみんなで盛り上げないとね。先生だってね、反応がなかったら寂しいんだよ。いろいろ質問したりとかさ、「あ、それ知ってるよ」とか言って欲しいんだね。そういう風に自分から盛り上げていく。とりあえず、いっとけ!(口頭は「とりあえず、いっとこう」)
 


オワリもガツン!


あのね、勉強を嫌いになる時あるじゃない。その教科をなんで嫌いになるのかって理由を聞いてみたんだ、大学生に。そしたらね、ある時にそれを習った先生がイヤだったから。その理由が一番多いんだ。でもボクはそれはすごくもったいないことだと思います。先生と教科は別に考えよう。例えばブランドを買いに行って、そこの店員さんが感じ悪いからって、ブランドをそれはダメだって思わないでしょ?おんなじことだよ。先生がイヤだからって教科を嫌いになっちゃ、もったいない!というわけで先生と教科は分別しよう!

 いやいや、それは難しい。内容がスムーズに入ってくる分、一言居士どころか多言で行くよ。
 齋藤クン好きだから本読んでるし、日記も書いてる。分別なんて無理無理。


 思い起こせば、花も恥じらう・・・うーん、正確に行こう、鬼も十八、番茶も出花だった女子高生の私は、体育の先生が大好きで大好きで、その先生が保健体育の期末テストの問題作成をすると聞きつけ、他の主要教科を放り出して猛勉強したものでございます。
 誰もそこまで本気で保健体育の試験勉強しないのでライバル不在、また試験範囲が得意分野だったということもあり、見事、学年トップの栄光に輝きました。
 その先生が教科担当ではなかったので、直接誉めてもらったわけでもなく、純粋な自己満足だったのですけどね。折しも「愛は勝つ」が大ヒットしていた頃でした・・・。


 あれ?当時から「先生」が好きだったのね。そう言えば、夫も大学の先生だ。習っちゃいないけど。そうか、私の好みは一貫してるのね、と、今さら。


 そんな先生好み*1の私が思うには、「嫌いだから」の中には人間的に嫌いという要素の他に、授業への評価も含まれてる。
 生徒って馬鹿にしたもんじゃなくて、子どもなりにその先生の姿勢みたいなものを感じ取ってると思う。
 授業用の教科書ガイドまんまの先生と、教材研究をしっかりやっていて更に知識が幅広く奥深い先生との違いは、はっきり分かるもの。性格的には合わないけど、授業は嫌いじゃない先生だっていた。


 
 だから嫌われる方もその原因はどこにあるのか、真摯に謙虚に分析する姿勢は必要だ。
 とは言え、例えば同じコンサートでも会場によって盛り上がり方が違うというのは、各地のツアー追っかけてる人ならよく知っていることで*2相互作用の力が大きいというのは自明の理。ローティーン(生徒)向けの番組だからこそ、ガツンと言ってみた意図は十分に分かるのですけれどね。ニッコリ。と意味なく笑顔で締めてみた。

*1:真の先生好きではない。先生なら誰でも良いわけではないから。

*2:って、追っかけてるんかい!と言われれば、「ええ、SMAPです」と答えるまでよ