業界用語の学生版というのか、学校を卒業するととんと使わなくなる語彙というものがあって、近所の小中学生としゃべっていて「男子」とか「日直」とか聞くと、おお〜と懐かしいような甘酸っぱいような記憶が甦ります。
 それはやや遠ざかったとは言え、気持ち的には「ついこないだまでどっぷり浸かっていた」感覚が、図々しくもあるのだけど、幼稚園生活にも慣れてきた娘が先日口にした


「い〜けないんだ いけないんだ〜 な〜にやってもいけないんだ〜」*1


には、さすがにやられました。名実共に「幼稚園児」になった娘を頼もしく見つめると同時に、これこれ!これこそが幼稚園用語の最たるもの、と伝統文化の継承者を育て上げたような達成感にも似た安堵を覚えたのでした(嘘)。


 なんだっけ、話がとっ散らかったぞ。もとい。「い〜けないんだ、いけないんだ〜」が、キング・オブ・園児ワードだとすれば、中高生のそれは何かというと、間違いなく「中間」「期末」が上位に食い込んでくるのではないでしょうか。
 これはもう少女まんがにおける「遅刻遅刻〜とあわてふためきながら、トーストくわえて家を飛び出していくヒロイン」より青春という風景に欠かせない風物詩。中学入学後、初めての中間テスト時には「ああ、今私は中間テストの真っ最中!」という不思議な高揚感はなかったでしょうか。


 そんなまさにローティーンに向けた直球勝負のガツン!

アタマをガツン!
みんな!テスト好きか?ボクは、嫌いだったけど、最近好きになりました。と言うのは、人生テストの連続だし、それにテストには良いことあるんだよ。言い訳人間にならない!いいですか?「いや俺、勉強嫌いだし、してないし。準備してないし」って言わないんだ。テストは結果が全てでしょ。自分の実力が晒されちゃう。それを何度もやってると、心が強くなるんだよ。これが一番テストのいいとこだね。現実をみろ!結果を出せ!


オワリもガツン!
いいか、みんな!テストで一番大事なのは、計画的に準備すること。マラソンと似てるね。走り出してからじゃ遅い。二ヶ月前から準備するでしょ。そういうようにテストも二週間前から準備する。最後に暗記科目を持ってきて、その前に数学のような一度できるようになったら、もう力の落ちにくいものを持ってきます。ですからボクはね、計画表をちゃんと書いてたよ、ノートに。それをね、君達にもやって欲しいんだ、是非ね。いいか、さいごに暗記科目これでOKです。(うんうん、と頷く)

 
 相変わらず良いこと言ってる齋藤クン。確かに確かに仰せの通りなのですよ。
 まだ希望と純粋さを持っていたきらきら眩しいあの頃に、齋藤先生に会っていたなら・・・とは、残念だけど思わない。それなりに影響は受けていたとは思うのよ。なるほど!と、暗記科目を後回しにするくらいの素直さは、あったと思う。でも、結局のところ、手っ取り早く点につながる暗記科目まで手が回らないままテストを迎え、おのれ齋藤〜と八つ当たりも甚だしい恨みを抱くくらいが関の山だろうな。


 大人になった今なら、こうやって勉強すれば良かったとも思い、計画性が大事だったというのも分かる。でも過ぎたからこそであり、それなりの社会経験を通じて思えることなんだよな。
 だから、中学生番組占拠率100%だとしても、そのうち何%がきらきらお目目で二週間前から計画的に準備を整え、暗記科目でフィニッシュできるのかというのは虚しい問い。
 「先生の言ってること、正しいな」とうっすら思うのは、答案が返って来る辺りで、本気で理解するのは自分が完全に「中間」「期末」「日直」「男子」から足を洗ってからというのが、大多数が一歩も踏み外すことなく、連綿と踏み固めてきた道なんだと思う。


 齋藤様のメッセージを蟷螂の斧と言っている訳ではないのだけど、まぁ、難しいよなぁなんて思いつつ、今回のは特にそれを強く感じたもので。
 稀に、きちんとメッセージを受け止めて、しっかり実力付けて行くヤツもきっと出てくるだろうし、そしたらそれはそれで、齋藤孝連鎖を呼んで、次世代へと受け継がれていったら頼もしい話。きっと私みたいな自分ではやらなかったけど、分かる分かるって外野のいっちょかみも次々表れて歴史は繰り返されて行くことでしょう。


 最後に今回の後ろ画面の肩書きは「2005年度ベストファーザーイエローリボン賞受賞」となっておりました。タイムズで取り上げてもてはやしてくれてもよさそうな「とくダネ!」でちっとも触れてくれなかったので、思わず快哉を叫んだプチネタ。

*1:地域差こそあれ、全国どこでも似たようなこと言ってますよね。因みに私が現役幼稚園児だった頃は同じ節回しで「い〜んですか いんですか〜 せ〜んせにゆうちゃろ〜」でした