コミュニケーション力

コミュニケーション力 (岩波新書)

コミュニケーション力 (岩波新書)

 齋藤孝なんて、どれ読んでも同じ、一冊読めば十分って言うなら、その一冊を見極めてやる!なんて息巻いていたこともあったわね、と紫煙を燻らせるほど、遠い日のことではないけれど、まぁこれは現段階でそれに最も近い本でしょう。


 齋藤孝に欠かせないキーワードやコンセプトが、余すところなく登場しているので、入門書としては勿論だけど、私が一つお勧めしたい本書の活用法は、数冊、齋藤本を読み込んだ上でのサイトー力検定のテキストとしての読み方だ。


 例えば、「英語を話す」というテーマが出てきたら「授業のはじめにハイタッチ」が出てくるなと予想する。しばらく読み進めると、来たっっ!「ハイタッチ」
 講演会で聴衆の頷きが乏しく反応が薄い、との記述が見られたら、次は「肩胛骨*1ぐるぐる」・・・のように、およそ2、3ページ先を予測しながら読んでいき、それが見事にはまる心地よさは、齋藤検定ならではの楽しみ方である。


 新書ゆえ、なるべく「私」の部分を削ぎ落としていく文体、文脈で、体温や肌触りには欠けるけれど、ご自身があとがきで「扇の要」と位置づけているように、かなり密度の高い齋藤本なので、初心者向けでも上級者向けでもある。
 齋藤道は「コミュニケーション力」に始まり「コミュニケーション力」に終わる。と2005年8月13日現在では申し上げておきましょう。


 
 最後に一つ。検定問題ではありませんが、これは何についての記述でしょうか。

経験知や身体知の蓄積がぶつかり合うわけなので、その場はコミュニケーションの実験場のようなものになる。要素は複雑であり、興奮度は高い。


 答えはセックス。
 齋藤孝がセックスを語ることは近頃余り見られないことなのでちょっと抜粋してみました。


 齋藤の得意とする「身体」、「コミュニケーション」、「言葉」の柱がそれぞれ重なり合う最もコアなところにあるのが、セックスなのではないかと常々思っていたので、奇譚なくまるまる一冊セックスをテーマにした本が読んでみたいなと思うのだけど、現況では難しい、かな。


 あ、もう一つ。
 以前「貧乏な支え合う兄弟が泣きのツボ」と発言していた齋藤様ですが、その泣きのテキストはどうも「にあんちゃん 十歳の少女の日記」らしいと思われる行がありました。


 前言をあっさり翻すようですが、新書の枠に収まりきれない齋藤孝の息吹が随所に見られるのも、またをかし。

*1:以前、暫定的に「肩甲骨」を採るとしてましたが、本書での記述は「肩胛骨」でした