孤独のチカラ

孤独のチカラ

孤独のチカラ

 学生の頃、生駒山上だかあやめ池だか、とにかく近鉄沿線の遊園地の広告で「天高く人恋ふる秋」というコピーがあって、それにいたく感銘を受けた友人が「秋はやっぱり、恋せなあかんわ!」と自らを鼓舞しつつ毎週末の合コンに臨んでいたこと、この時期、金木犀の香りに思い起こされます。秋ですねぇ。


 そんな人情、世情に背を向けるようなタイトルの本書ですが、秋の人恋しさに対する孤独と言うより、「孤高」や「雌伏」という言葉の方がしっくり来ます。
 齋藤、暗黒の10年に培った孤独の作法、またその時代に溜め込んだパワーや知識、経験が今の私を奮い立たせるのだ、というような内容。不機嫌であったとは述べておられますが、その時期に妻を娶り、お子まで為してらっしゃるので、引き籠もったり、出家に近い生活をしていたという類の孤独ではなく、精神的に自らを孤独に追いやって行く*1感じでしょう。


 
 齋藤様自分語りの際に、時折恨み節のように出てくる暗黒時代が垣間見られて(でもまだ出し惜しんでる物足りなさもあるけれど)面白いのだけど、本書を読んだからと言って、孤独最高!未来の成功に向かって、明日から私もアウトロー!!!とは思えないのは、この「孤独礼賛」が現在の齋藤孝あってこそで、結果論に過ぎないからなんだろうな。
 孤独のチカラは、今の齋藤孝の原動力になってはいるけれど、必要十分条件というわけではない。


 引き籠もりやニートに限らず、「大人は分かってくれない」「オレを認めない社会が悪い」という「オッス、オラ尾崎*2」みたいのは、症状の軽重はあれど、ごまんといて、でもその中で本当に名を為すような逸材はほーんの一握りだ。
 そして、それは孤独の作法を身に付けていなかったということじゃなく、問題はもっと他のところにあるんだろう。
 つまり本書は、遍く世の人々に適用できる成功へのテキストとして読んではいけない。


 だからといって本書をお薦めしないという訳ではなく、日常の小さなことやほんのエアポケットみたいな孤独も、ひとりで嗜んでみてもいいんじゃない?という提言として受け取るってくらいがちょうど良いかなと思います。鴻鵠じゃなく.燕雀の視点で。*3
 ひとりを楽しめる人とは一緒にいても心地よいですからね。


 新しい環境に馴染めないで疎外感に悩んでいる時。恋人に振られて、悲嘆に暮れている時*4。病気療養中で世の流れに遅れをとっているという焦燥感に駆られてどうしようもない時。
 孤独を楽しむ余裕を持ちつつ、でも本当は絶対的孤独の中にいる訳じゃないって、チカラを蓄えててくださいね。って誰に言ってるんだ。

*1:定職なしって言っても東大院出てるわけでしょ?そんなに孤独孤独騒ぐ程のこと?と見る向きもあると思うけれど、参考までに→博士(はくし)が100にんいる村 オチの付け方や文体は好みではないけど、オーバードクターの現実を映してるらしい

*2:彼の本質はさておいて

*3:言うまでもなく私自身の感想で、齋藤様の執筆意図からは外れておりますが

*4:私のごくごくごく身近に、学部時代、彼女に振られて楽しいことをする気になれずしょうがないので猛勉強して大学院に進んだというまさにテキスト通りの孤独のチカラを体現した男がおります