3/20 OA<最終回>

 今週は何かとトラブル続きで、逆当たり逆当たりと思っていたけど、最後の最後で「歌う星占い」ワースト1がおうし座だったのは当たりだったんだなぁ。と感心してないで、今週中になんとかしよう、ガチャガチャポン!最終回。


 一家でアメリカに移住することになり、時を同じくして大人の階段登った瑠希ちゃんに「ボクは子どものいる家にしかいられない」と別れを告げるガチャパン。別れを嫌がる瑠希に「泣きそうになったら、ボクとの4つの約束を思い出して」と言う。


 この4つの約束こそ、ガチャポン!が大人と子どもの狭間にいるローティーン達に発してきたメッセージ、つまりは齋藤クンからのオコトバの集大成なので、引用してみましょう。

一つ目。家族はチーム 困ったことがあったら、何でも家族と話し合おう。
二つ目。何事もひとつの方向からではなく別の視点から見てみよう
三つ目。自然に親しんで色々なことを学ぼう 真実の全ては自然の中にあるんだ。
四つ目。ボクはずーっと瑠希ちゃんの心の中にいるよ。


 惜しむらくは、この番組を見続けたこの一年間、私はもちろんローティーンでも、その保護者でもなかったと言うこと。
 主に「齋藤孝を鑑賞する」に重きを置いた不埒な視聴態度ではあったけれど、茶々入れたりもしたけれど、学ぶところも多かったのですよ。特に二つ目の「別の視点を持つ」ということ。この視点を中高生の時に持っていたら、視野も選択肢も広がったのではないかと思う。
 出会う人と出会うタイミングというのは、ホントに重要だよね。まさに「一期一会力」


 でも幼稚園児の母という中途半端な視点から、一つだけ分かったことがある。
 最後に瑠希が「絶対また会える?」と聞くのに対して、ガチャパンは「いつかきっとね」と答える。
 今までだったら、この「いつかきっと」を適当な常套句、もしくは、漫画の最終回にありがちな「○○は、いつまでも私たちの心の中にいるよ」「いつだってそばにいる」的な予定調和と感じておしまいだったと思う。


 でも。
 子どもと一緒に暮らしていると、時々懐かしいような既視感のような感覚を覚えることがある。
 もちろん、モロー反射とかそのくらいの時には全くないのだけど、子どもが、自分の中の最初の記憶の頃、3歳か4歳くらいにまで成長すると、子どもの経験や出会いが、自分の朧な記憶と重なることがままある。


 大好きだった幼稚園の先生、油粘土の匂い、小さな椅子を引きずる床の音、友達の遊びに入れないで離れたところから気にしながらなんでもなさそうに一人遊びに興じる時間。
 すっかり記憶の奥深いところに埋もれてしまっていた感覚の追体験は、まさに遠い日の約束が叶えられたような再会だったと、幼稚園の終園式で涙もろい先生の挨拶を聞きながら思い至った。


 これからも私は次々と、懐かしい感覚と再会するのだろう。
 一年間見ていたガチャポン!は、今の私を想定視聴者としていないけれど、そう遠くない将来の「いつかきっと会える」を少し先取りしたようなものなのかも知れない。
 子ども達が思春期を迎えた時に、ガチャパンとまた会える。手垢にまみれた「いつかきっと」の台詞も視点を変えると、特別な約束になるんだ。きっとそうなんだ。
 どうして今日はこんなに感傷的で素直なんだ。しょうがないな。春だからな。


 しかしこのままで終わらせるには惜しい番組。捲土重来の期待を込めて。いつか、きっと。