バカボンのパパはなぜ天才なのか?
- 作者: 斎藤孝
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2006/02
- メディア: 単行本
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本当にマンガが好きなんだね。と言うのが、行間から頁間から迸るように伝わってくる本。
齋藤少年が齋藤青年を経て齋藤中年に至るまで、現在進行形で愛し続けて止まないマンガ達への思いの丈を、多分、平素の齋藤の主張や社会的評価や売れ行きを度外視して、時の人の勢いにも任せて書き上げた一冊。
一応、時々思い出したように「○○力」とか人生訓を無理矢理引っ張り出してはいるんだけど、本書においてはそこは蛇足かな。
これ読んで、読んでみたいな〜と思った作品は本当に多くて*1余りマンガを読まない私でさえそう思ったんだから、それだけで、この本の狙いは十分全うされていると思う。
ただねぇ。
この本を読んでる間中、ずっとむずむずむずむず感じた違和感というか、嫌悪感とまでは言わないまでも、なんというか不快感。
どうもね、イヤなんです。本書で好んで使われている「ですぞ」「ですな」で締める文体。
この文末に象徴される文調、下世話なことやくだらないおバカな話、エロについてもあけすけに語る調子は嫌いじゃないのだけど、この文体は好きになれない。
なんなんだろう。
考えられるのは、
- オヤジ迎合体
- 「週刊ポスト」連載なので、読者層の立ち位置に添って、親しみを感じてもらう戦略。
- 狐狸庵先生のような第二の筆格(人格ならぬ)
- 「オヤジ迎合体」を更に拡大解釈。今後も展開予定。
- マンガを題材としているというくだけ感の演出
- 自分の中の照れや、躊躇を自ら払拭するため。
- 単に天然
- この本が書けたことがうれしくてたまらない調子乗り悪乗り丸腰体。
恐らくご自身としては1.か2.辺りで「技」化しているつもりなのかも知れないけれど、だめだ。目論見は大きく外れている。(少なくとも熱烈読者である私に対しては)もっとさらっと書いてくれていた方が、メッセージは伝わったな、多分。
それはそうと、各漫画名場面の抜粋に付されているキャプションも齋藤孝責任編集なんだろうか。
「ゴルゴ13といえば騎乗位。騎乗位といえばゴルゴ13」のインパクトはどうだろう。
やっぱり、4.か。無防備自然体孝クンなのか…。
*1:ただ、全34巻。とか書いてあるとそれだけで気後れしてしまって、結局は多分読まないんだろうけど