齋藤孝と作る本 いますぐ書けちゃう作文力
齋藤孝とつくる本 いますぐ書けちゃう作文力 (斎藤孝とつくる本)
- 作者: 斎藤孝
- 出版社/メーカー: どりむ社
- 発売日: 2006/04/12
- メディア: 単行本
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作文力。出版当初から優先的に読まなくてはと思いつつ、読むまでに数ヶ月。読んでから、年内(2006年のことです。念のため)には取り上げたいと思い、年が明けてからは新年の一発目で行こうと思いながら、もう立春も過ぎ、暖冬の影響もあって春の気配さえ感じられるこの頃。
光陰矢の如しとはよく言ったものですね。
「作文力」というコンセプト自体にも興味を持っていたのだけど、出版元のどりむ社さんには、以前齋藤様講演会などについて書いた記事について、その大変無礼な内容にも関わらず、丁寧且つ懐の広いメールを頂いているので、一方的な親近感と恩義を感じていて、「読まなきゃ」に加速度が付いた…わりには、江戸の敵を長崎で討つ、いや、江戸の恩を長崎―うーん、もっと遠いけどあんまりかけ離れてもなんなんで、交通の便の悪そうなところで―五島列島で返す、この体たらく。
まずどりむ社(さんって付けるのも変なので以下敬称略)については訂正しなくてはいけないことがあるので、そこから。それにつけても江戸の過ちを(略)五島列島で…ああ、自分で書いてても余りにもしつこいので、以下、更新久方ぶりネタはなし。
以前の記事の中で(ゴルゴ13と言えば… - にほんご日記)「講演会招待者の門戸を広げろ」というようなことを書いたのだけど、後にどりむ社HPを見てみたら、始めは応募条件に入っていなかった一般の人達に対しても広く希望者を募っていた。
時々刻々、エキサイティングな情報が駆け抜けるネット社会の片隅の片隅の、さらに路傍の石を蹴っているような私の与太ぼやきが汲まれたとはまさか思わないが、消費者のためによりよいサービスを提供しようと日々努力する姿勢が窺われて素晴らしい!なんて懐が広くて、風通しの良い会社なんだろう!と感動すら覚えたのに、それをやっと半年以上経ってから述べているってのはどういうことだろう。とは言っても更新自体が滞っているので、記事としてはそんなに遡らなくていい。思わぬところで利点もあるものだ。
ま、そんなわけで長らくの沈黙を破り(そんなかっこいいもんじゃない)まず書きたかった、「いますぐ書けちゃう作文力」
本書の中でも「ぼくは前に、キミたちのお父さんやお母さんたちに読んでもらえるように、『原稿用紙10枚を書く力』(大和書房)っていう本を書いたことがあります。」と述べられているように、原稿用紙10枚を書く力を子ども向けに書き下ろしたような内容。
私自身は、大人向けである「原稿用紙〜」より本書の方が意義の大きい本だと思う。大人になってから「原稿用紙〜」を読むよりも子どものうちに本書に出会う方が、きっと効果的だと思うからだ。
子ども時代を思い返してみると、私は「作文の書き方」を習ったことがない。そして小論文の書き方を習わないままに大学受験を通り過ぎ、レポートの書き方を教えられないままに大学でレポートを書き、多くの場合はその細かい指導はされないで可否だけを受け取り、やっぱりよく分からないままに卒論に臨んだ。果たしてその出来が良かったのか悪かったのか、今以てよく分からない。
つまり「作文力」に関しての手応えや実感を持たないまま現在に至る。
時々理系の人の書いた書類を直すことがあるのだけど、論旨以前に日本語を直す作業が主になっている。(もちろん相手は、理系知識ゼロどころか誤解と偏見によってマイナスの方に振れている私に論旨に関するアドバイスは求めていないわけだが)誤字脱字、熟語や慣用句の誤用、テニヲハの間違いは基本で、指示語が指示する内容が不明、主語と述語のねじれ、酷い時は主語と述語がいくつもの文を隔ててやっと出会う…など訂正箇所は、枚挙に暇がない。
そしてこれらを書く人は、世間的には知識人とされている職種の人々なのだから、問題は深刻だ。
文法的な知識もさることながら、これは文章を書き慣れていない、「作文」というだけで敬遠してしまってここまで来てしまったという背景が大いに影響しているのだろうと思う。
でも先述の通り、私たちは作文の書き方を習ったことはない。
原稿用紙が配られる。黒板に「遠足について」などのタイトルが提示され「さあ、書きなさい」と言った後、先生は机間巡視、もしくは教卓でテストの採点。
教室にはコツコツと響く鉛筆の音に咳払いや机、椅子をずらす音が時折混じり、遠くの教室からかすかに聞こえる合唱の声、グラウンドからは体育の授業中らしい元気な声と笛の音。
少し間を置いて、次々と新しい原稿用紙を取りに行く人が席を立ち、なかなか進まず焦っているうちに時間切れ、「続きは宿題です。家で書いていらっしゃい」…これが作文の時間の風景だ。
教科書などにある作文の好例を読んだり、書き終わった作文を発表したりはしたけれど、具体的にどう書くか、書いた作文がどうなのかを客観的に判断されたことは、少なくとも授業の中ではなかったと思う。
今の小学校教育の実情は知らないのだが、教育改革の早期実現が声高に叫ばれている今、20数年前より格段に改良されているとは思えない。
そんな「作文力」に関して全く無防備な私たち(子どもも大人も含めて)に齋藤孝は提唱する。
「好き!」を書こう!
会話文で行をかせごう!
「ベスト3作戦」でしぼりこむ
架空インタビューに挑戦
(目次より抜粋)
古典的なものもあるけれど、齋藤少年が編み出した作文の(時には行数、枚数を稼ぐための)コツを惜しみなく公開している感じが良い。
何をどう書くか、子どもにも分かり易いように時にマンガもテキストにしながら(常套手段でもありますが)「齋藤孝と作る本」とのサブタイトル通り、書き込みながら作文力を鍛えていく。
読み終える頃には、あらびっくり、あんなに苦手だった作文がこんなにスラスラ…とは行かないまでも、白い原稿用紙を前に途方に暮れる状態からは一歩抜けているだろう。
そして最終章にある『「作文力」って何だろう?』の項では、作文を評価するのは大人であると前置きした上で「作文力」を「キミたちが大人と対等にわかりあえる力」、「お互いができるだけ正確に自分の気持ちや意見を伝えて、お互いを理解しあうための『技』」と説明している。
ここは子どもにとっても大切なポイントであるが、大人も十分咀嚼して心に置くべきことだと思う。
国語教育、国語力についての議論は喧しいが、原点に立ち返って、作文力、もっと大きく国語である日本語の力というのは、こういうことなんだという認識を持たなくてはいけないな、と久々に広げてみました、秘蔵の大風呂敷。
とは言ってもこれ以上は広がらないので、そそくさと畳んだところで、この書き込みスタイル。即実践という意味では悪くはないのだけど、「作文力」を銘打つにはやや中途半端で、だったら別冊にした方が良かったのではないかと思う。
作文力=お互いを理解しあうための技、なのだから、書きっぱなしでは、余り意味を成さず、本書の中でも時々「お家の人に話してみよう」のような働きかけはあるものの、書いた作文を評価してもらってさらにステップアップ、という点は期待できない。
最後まで徹底的に作文力を鍛えようということなら、巻末に送付用の作文用紙などを添えて、それを編集部宛に送ると丁寧に添削指導された作文が戻ってくるなんてシステムは…と思ったら、それは既にどりむ社がやっているじゃないの!→小学生の作文力をアップする通信教育講座「ブンブンどりむ」(齋藤孝先生監修)
…ってやっぱりあからさまだった?