大人の斎藤メソッド

 各種言い訳スルーでいきなり本題。


 と言っても一ヶ月近く前のことになるのだけど、一般向けの斎藤メソッドが全5回の予定でスタートした。小学生向けの私塾、斎藤メソッドの社会人版というところだろうが、私の知る限りでは一般向けというのは初めての試みだろう。詳しくは→齋藤孝のホームページ


 夏の終わりにHPで知ったときにつらつらと思ったことは以下の通り。

  • 是非参加してみたい
  • でも純粋本気で齋藤メソッド、教育について考えている他の受講者、そして誰よりも齋藤様に対して、ミーハー心の塊が興味津々で参加するのは失礼
  • 明らかに目的が違う
  • 偏愛マップ」は必修だろう→「齋藤孝」はともかくとして、スマだの錦戸亮だの満載のジャニジャニしたマップは浮きまくりだ
  • でも興味はある
  • とりあえず間接的にでもどんなものか知りたい
  • 夫だ!


 最後の結論に至るまでの時間は大して掛からず、早速帰宅した夫に打診してみる。
齋藤孝が大人向けにセミナーみたいのやるみたい。全5回の。明大で」
「へー、行けば?子ども達見てるから」
「うん。でも、私が行くってのはちょっと目的が違う気がする。コンサート行って、きゃー!ってのとは違うし」
「ふーん」
「でも内容に興味もあるのよ。ほら、前読んだやん、『教育力』とか『文脈力』とか、ああいうの面白そうやろ?」
「うん、興味はあるね。あと、どんな授業スタイルなのか、とか*1
「そーやろ!?あ、行ってみる?」
「俺?」
「うん、それでどんなだったか教えてくれる?」
「面白そうだね、それで良かったら次の機会には行ってみたら?」
「そーする」
 万事思惑通りに決着。


 と言うわけで参加しているのは夫なのだけど、かなりの好感触らしい。
 まず感心したのは、齋藤孝が開始5分前くらいには会場にいて教壇でいろいろ準備をしていたこと、とのこと。夫だけでなく私も危惧していたのは、齋藤信者による「齋藤孝マンセー!!」のような雰囲気の中、万雷の拍手とともに齋藤孝登場!そしてありがたいお言葉を拝聴…のような一種妄信的な、自己啓発セミナーっぽい趣旨だったら…?ということだったのだけど、全くそのような雰囲気はなく、しかし学ぼうとし、聞こうとする姿勢の受講者と齋藤孝の関係がとても心地よく、内容以前にあの雰囲気がとても良かった、ということらしい。
 そして2時間程度の講義内容について、なぜか3時間近く掛けて*2夫がレクチャーしてくれたのだけど、ほぼ一ヶ月の時を経て、ぼんやりとしか記憶に残っていないのでとてもここに書き留める程の材料はない。思い立ったらすぐに書いてみるものだね。次はそうする。
 そして次回は明日。夫はなんとか宿題の「偏愛マップ」作り終わったようだ。

*1:夫、大学教員

*2:「○○について○秒でスピーチしてみて」、「英語で○秒話してみて」等、実際斎藤メソッドの中でやったことを忠実に

途中経過、前振り

 さて、DS齋藤孝
 暇を見つけてはちょこちょこ取り組んでいるけれど、なかなか面白いところもあれば、突っつきたくなる欠点もありいろいろ。でも19日に届いて以来、毎日何かしらはやっていて興味も続いているので、少なくとも対私*1としての戦略第一関門はクリア。
 ごちゃごちゃ言う前に、まずは私のDS歴などを。
東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング
東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング
英語が苦手な大人のDSトレーニング えいご漬け
 まずはここから行くよね。脳トレは共に脳年齢20歳に到達したところで、モチベーションが途絶えてしまってそのまま。えいご漬けも一度奇跡的にSを獲得したところで、レベルダウンを恐れて封印。どれも集中してやっていたのは一月程度だったと思う。


New スーパーマリオブラザーズ
 確か両親から夫への誕生日プレゼント。
 この手のゲームはちょっと小技を使わなくてはいけなくなるとすぐ挫折する。多分stage3くらいで飽きたはず。


プロジェクトハッカー 覚醒
 夫が海外出張時に機内での時間つぶしのために購入。出張前にまだ解禁しないで我慢してる夫の横で黙々と取り組み、5日くらいでクリア。但し、stageクリア前のシューティングゲームみたいのは夫にやってもらった。


タッチで楽しむ百人一首 DS時雨殿
 こういう系統にはついつい食指が動いてしまう。一週間くらい夢中でやっていた。確か百首全部覚えたことになっていると思う。(その時点では)
 目標を達成するとモチベーションが急落して、維持していこう、ゲームとして楽しもう、という気が全くなくなってしまうのが難点だな、改めて。この傾向、全てにおいてそんな気がする。このブログだってほぼ放り出し体制に入っていたもの。ま、それはさておき。


学研DS 大人の学習 金田一先生の日本語レッスン
 だから分かっちゃいるんだけど、手を出してしまうわけで。
 定石通り、これも一度東海道を踏破して以来、一度も手に取っていない。手応えもあったしとても面白かったのだけど。


のだめカンタービレ 特典 のだめの鍵盤ポーチ付き
 ドラマ熱そのままに予約購入。千秋様が呼びつけにするんだよ、萌えるよ〜と評判が評判を呼び、現在友人間を巡回中。ゲームも面白かったので、今まで挙げた中では、熱が冷めた後でもリピートする確率大だと思う。何分、手元にないだけに断言はできないけれど。



 そんな中、齋藤孝のDSで読む三色ボールペン名作塾





 …だめ。しばらく「日記を書く」から遠ざかっていたので、スタミナが続かない。
 書く、ってのもスポーツだったんだ。体力と日頃の鍛錬が要るんだね。あと、勘。多分、文体まで変わってると思う、私。
 今更だけど「国語は体育である」という齋藤孝の主張が、いかに至言かってことよ。素晴らしい!齋藤孝!じゃまた今度。
 

*1:狭っ。しかも偏ってる。

お久しぶり

齋藤孝のDSで読む三色ボールペン名作塾

齋藤孝のDSで読む三色ボールペン名作塾

 amazonさんからのお届け物。もしかしてフラゲってやつ?と思ったら、本日発売日でございました。
 詳細次回!(このパターンが鬼門だと言うことは重々承知しつつ…)

かなしみの名前 中原中也の言葉

 NOW READINGはどうした。ってのは、まだ読んでないのよ、とさらっと放っておいて。
 大和書房なので「天才伝」シリーズなのかと思ったら、それらとはまた一線を画す趣のようで、姉妹版としてサン=テグジュペリ 星の言葉 (だいわ文庫)があるようです。こちらもシリーズ化するのでしょうか。


 中原中也。似非含め文学少女が一度ははまる陥穽というのか、誰もが通る一里塚というのか、分かり易く好かれる詩人なので逆に堂々と中也好きを称するのは憚られるイメージがある。いや、好きなんだけど「中原中也が好き」だとは思われたくないような。
 少し分かりにくいけれど、「ローマの休日」は好き、ヘップバーンも素敵だと思う、でも「好きな映画:ローマの休日」と簡単に書きたくないとか、或いは「赤毛のアン」はシリーズ全作読んだ、村岡花子訳も掛川恭子訳も大好きだ、でも「好きな言葉:明日はいつも新しい日」とは書けない*1、とか、そんな感じ。…やっぱりさらに分かりにくいか。
 なんだろう、照れとか何かしらのポーズとか、本当はもっと斜に構えていたいのに、王道中の王道にまんまとはまる、やっぱり照れくささなんだろうか。


 と御託を並べるくらい、やっぱり私も例に漏れず、中原中也が好きだったりしたのだけど(あー長い前振りだった)、本書は齋藤孝選の中也詩集とは少し違う。
 厳密には、齋藤孝選・中原中也の詩からの抜粋句集で、もちろん全篇採られている詩もあるのだけど、一応のコンセプトは前書きで述べられているように「彼(中也)の鋭い感性が凝縮された言葉を取り出し、写真と組み合わせ、「額」に入れてみました」というもの。


 純粋に詩を愛する向きには、評判がよくないかも知れないけれど、これ、なかなか面白い。
 好きだとか言っておきながら、詩集って読んでるとどうしてもだらっとなる。一言一句、行間、空白に詩人の研ぎ澄まされた魂が込められている分、本気で読むと疲弊するし、とりあえず文字を追うだけだと言葉が頭の中だけで空回りして心まで届かない。
 そんな邪道な読み手がおいしいところだけ味わうには最適な手法と言えよう。


 そして前掲の前書きの弁の通り、写真が添えられているのだけど、それがまたこちらの持っているイメージを悉く裏切るのが面白い。
 こんな事態を想定して、同じく前書きにて齋藤クンは

 写真と言葉の組み合わせの中には、ぴったりくるものも、ずれるものもあるでしょう。それは、私たちにとって風景とはすべて心象風景だからです。心の中の感情と、外の風景が重ね合わさって存在しているのです。それはあなただけのものです。
(『かなしみの名前 中原中也』「心の中の大切な場所へ」より)

というエクスキューズを用意している。抜かりなし。


 例えば、有名どころで言うと「汚れっちまった悲しみに…」は、雪の上に大きなスニーカー(靴底に詳しくないので分かりませんが)の足跡が一つ、という写真を背景にしている。白黒なので、雪の白さは判別できないが、恐らく真っ白な他に誰も踏み込んでいない雪の上だと思われる。
 この写真への違和感から、私が頭に思い巡らせたのは、こんな感じ。

 戦後間もない東京の片隅にある場末のキャバレー入り口前の3段ほどの階段。視点は斜めからの角度。雪はかなり前から降っていて、通りを往来する多くの人々に寄って踏み固められた道路の雪は薄汚れている。そんな汚い雪の上に、真綿のような雪が柔らかに降り積もる…
 そこに「汚れっちまった悲しみに…」の声。朗読は中居。情感を込めずに、なるべく無機質に無感動に。ただ淡々と。
(私の妄想より)

 やや偏ってはいるけれど、これが私の「汚れっちまった悲しみに…」のイメージ。


 よく知られていて、比較的イメージを共有していると思われる詩でもこれなのだから、本書を読むと「違う、ここはこうじゃない」の繰り返しなのだけど、ここがポイント。
 多分、ここを狙ってのことなんだろうけど、本当にうまい作りだと思う。
 詩の世界をイメージするというのは、結構難しい。でもイメージを強制されることによって生まれる反発と、強制されたイメージとの比較から、自分のイメージを構築するのは、かなりスムーズな流れだ。


 実際、上記の「汚れっちまった悲しみに…」についてのイメージは、以前から具体的に持っていたものではない。
 漠然と持っていたイメージを、今回本書を読んだことによって具象化し、言葉にしたものだ。いくら私でも、前々から「汚れっちまった」は中居向きだな、なんて思っていた訳ではない。
  なるほどね、単なる「詩を味わう」「言葉を味わう」にとどまらせるのではなく、読者に積極的に作品世界に参加させるという形、なかなか深い。


 さらに齋藤ファン特典としては、これらの写真を見ることで、齋藤孝が中也をどんな風に読んでいるかを探る(妄想する)ことができるという点が挙げられる。
 よくプロフィール欄で掲げられる「好きな本」「好きなアーティスト」のような項目に影響され(齋藤孝に限らず)どんなものかと手を伸ばしてみるけれど、そのどういうところが好きなのか、どんな風に鑑賞しているのかまでは掴めなくて、不完全燃焼に終わったりする。
 その気持ちを共有できるという点で、ファンには地味ながら必携の書と言える、かしら。


 ここからはかなりの余談。
 久しぶりに中也の詩を読んで、今、中也を演じるとしたら誰かなと考えてみたのだけど、この程最適な人を見つけましたよ。
 彼の名はNEWSの手越祐也くん*2。まず美形なビジュアルは申し分なし。
 神童と呼ばれた少年時代、詩への焦燥と情熱。才能溢れ、繊細で傲慢。童顔なのに人を小バカにした目つきで、年長者でも対等の口をきいて喧嘩をする。嫌われ者だったのに、30歳で逝去すると葬儀には錚々たるメンバーが集い、その死を悼む。
 最近よく目にする彼は、中也のイメージと重なるのですが…やっぱり分かりにくいですかね。

*1:だらだらと書いておいてなんですが、私は「ローマの休日」にも「赤毛のアン」にもそれほど思い入れはありません。その昔、女の子はアン派とジュディ派に分かれると聞いたことがありますが、その伝で言うと「あしながおじさん」の方が好きですし。

*2:ごめんなさい。余りよく知ってるわけじゃないのですが、私の勝手なイメージです

 プロフィールにも書いている通り、スマファンでもあるのだけど、そのスマへの視点の置き方(共感あり、意外な角度からの切り口による発見あり)が好きで拝見している沙汰さんのブログで、今年も恒例SMAP広告大賞が開催されております。
 昨年はメールフォームから参加させていただいたのですが、今年はTBで参ります。
 やっぱり畳んでおきますか。そうしましょう。

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日常の中のサイトウタカシ的なこと

 夫が三色ボールペンを買ってきた。
 なんでも、最近全く別の分野で何人か「この人はできる」という人物と会うことがあり、そのいずれの人も三色ボールペンでメモを取っていたということらしい。


 打ち合わせの間、色を変えながらその内容をメモしていく鮮やかさと後から見たときの分かりやすさに感心し、さらに出来上がったメモ一つの中に、その後の仕事の進め方の方針がはっきり打ち出されていたことに感動を覚え、「仕事のできる人には三色ボールペン」と感化されるに至ったらしい。
 言うまでもないけれど、一応念のため、夫が会ったのは齋藤孝ではありません。


 私が齋藤孝の著書を読むのは、単に本人を敬愛しているからであって、スマ好きだからCDを聴く、DVD見るというのと全く変わらない行為であり、実生活の中で直接的に役立てようという趣旨ではないので、三色ボールペンで読む日本語を読んだからと言って、三色ボールペンを活用してはいない。そう言えば夫自身もこの本は読んだのだけど、その時は特に行動に移したわけではなかった。


 けれど、実際に身の回りで三色ボールペンを活用している人がいることで、なぜかこちらのテンションまで上がってしまう。
 件の「できる人々」が齋藤孝の影響で、三色ボールペンを使うようになったのかは不明だが、例え自分の編み出した方法だとしても、できる人の到達した地点が同じだったと言うことで、私にとっては齋藤崇拝がさらに高みに昇る要素になる。


 「ほら、やっぱり齋藤孝はすごいのよ」と力業で齋藤孝の功績にしようとしていたら「そう言えば最近前ほど熱心に読んでないよね」と痛いところを突かれてしまったので、ここは一つ夫の仕事にも大いに役立つであろう、齋藤様自身満を持した(はずの)新書、教育力 (岩波新書)を読んでみようと話もまとまり、翌日早速購入。


 と言うわけで、次回は「教育力」でお会いしましょう。COMING SOON…?