齋藤孝と作る本 いますぐ書けちゃう作文力

齋藤孝とつくる本 いますぐ書けちゃう作文力 (斎藤孝とつくる本)

齋藤孝とつくる本 いますぐ書けちゃう作文力 (斎藤孝とつくる本)



 作文力。出版当初から優先的に読まなくてはと思いつつ、読むまでに数ヶ月。読んでから、年内(2006年のことです。念のため)には取り上げたいと思い、年が明けてからは新年の一発目で行こうと思いながら、もう立春も過ぎ、暖冬の影響もあって春の気配さえ感じられるこの頃。
 光陰矢の如しとはよく言ったものですね。


 「作文力」というコンセプト自体にも興味を持っていたのだけど、出版元のどりむ社さんには、以前齋藤様講演会などについて書いた記事について、その大変無礼な内容にも関わらず、丁寧且つ懐の広いメールを頂いているので、一方的な親近感と恩義を感じていて、「読まなきゃ」に加速度が付いた…わりには、江戸の敵を長崎で討つ、いや、江戸の恩を長崎―うーん、もっと遠いけどあんまりかけ離れてもなんなんで、交通の便の悪そうなところで―五島列島で返す、この体たらく。

 
 まずどりむ社(さんって付けるのも変なので以下敬称略)については訂正しなくてはいけないことがあるので、そこから。それにつけても江戸の過ちを(略)五島列島で…ああ、自分で書いてても余りにもしつこいので、以下、更新久方ぶりネタはなし。


 以前の記事の中で(ゴルゴ13と言えば… - にほんご日記)「講演会招待者の門戸を広げろ」というようなことを書いたのだけど、後にどりむ社HPを見てみたら、始めは応募条件に入っていなかった一般の人達に対しても広く希望者を募っていた。
 時々刻々、エキサイティングな情報が駆け抜けるネット社会の片隅の片隅の、さらに路傍の石を蹴っているような私の与太ぼやきが汲まれたとはまさか思わないが、消費者のためによりよいサービスを提供しようと日々努力する姿勢が窺われて素晴らしい!なんて懐が広くて、風通しの良い会社なんだろう!と感動すら覚えたのに、それをやっと半年以上経ってから述べているってのはどういうことだろう。とは言っても更新自体が滞っているので、記事としてはそんなに遡らなくていい。思わぬところで利点もあるものだ。


 ま、そんなわけで長らくの沈黙を破り(そんなかっこいいもんじゃない)まず書きたかった、「いますぐ書けちゃう作文力」


 本書の中でも「ぼくは前に、キミたちのお父さんやお母さんたちに読んでもらえるように、『原稿用紙10枚を書く力』(大和書房)っていう本を書いたことがあります。」と述べられているように、原稿用紙10枚を書く力を子ども向けに書き下ろしたような内容。
 私自身は、大人向けである「原稿用紙〜」より本書の方が意義の大きい本だと思う。大人になってから「原稿用紙〜」を読むよりも子どものうちに本書に出会う方が、きっと効果的だと思うからだ。


 子ども時代を思い返してみると、私は「作文の書き方」を習ったことがない。そして小論文の書き方を習わないままに大学受験を通り過ぎ、レポートの書き方を教えられないままに大学でレポートを書き、多くの場合はその細かい指導はされないで可否だけを受け取り、やっぱりよく分からないままに卒論に臨んだ。果たしてその出来が良かったのか悪かったのか、今以てよく分からない。
 つまり「作文力」に関しての手応えや実感を持たないまま現在に至る。


 時々理系の人の書いた書類を直すことがあるのだけど、論旨以前に日本語を直す作業が主になっている。(もちろん相手は、理系知識ゼロどころか誤解と偏見によってマイナスの方に振れている私に論旨に関するアドバイスは求めていないわけだが)誤字脱字、熟語や慣用句の誤用、テニヲハの間違いは基本で、指示語が指示する内容が不明、主語と述語のねじれ、酷い時は主語と述語がいくつもの文を隔ててやっと出会う…など訂正箇所は、枚挙に暇がない。
 そしてこれらを書く人は、世間的には知識人とされている職種の人々なのだから、問題は深刻だ。


 文法的な知識もさることながら、これは文章を書き慣れていない、「作文」というだけで敬遠してしまってここまで来てしまったという背景が大いに影響しているのだろうと思う。


 でも先述の通り、私たちは作文の書き方を習ったことはない。


 原稿用紙が配られる。黒板に「遠足について」などのタイトルが提示され「さあ、書きなさい」と言った後、先生は机間巡視、もしくは教卓でテストの採点。
 教室にはコツコツと響く鉛筆の音に咳払いや机、椅子をずらす音が時折混じり、遠くの教室からかすかに聞こえる合唱の声、グラウンドからは体育の授業中らしい元気な声と笛の音。
 少し間を置いて、次々と新しい原稿用紙を取りに行く人が席を立ち、なかなか進まず焦っているうちに時間切れ、「続きは宿題です。家で書いていらっしゃい」…これが作文の時間の風景だ。
 教科書などにある作文の好例を読んだり、書き終わった作文を発表したりはしたけれど、具体的にどう書くか、書いた作文がどうなのかを客観的に判断されたことは、少なくとも授業の中ではなかったと思う。


 今の小学校教育の実情は知らないのだが、教育改革の早期実現が声高に叫ばれている今、20数年前より格段に改良されているとは思えない。
 そんな「作文力」に関して全く無防備な私たち(子どもも大人も含めて)に齋藤孝は提唱する。

「好き!」を書こう!
会話文で行をかせごう!
「ベスト3作戦」でしぼりこむ
架空インタビューに挑戦
(目次より抜粋)

 古典的なものもあるけれど、齋藤少年が編み出した作文の(時には行数、枚数を稼ぐための)コツを惜しみなく公開している感じが良い。
 何をどう書くか、子どもにも分かり易いように時にマンガもテキストにしながら(常套手段でもありますが)「齋藤孝と作る本」とのサブタイトル通り、書き込みながら作文力を鍛えていく。
 読み終える頃には、あらびっくり、あんなに苦手だった作文がこんなにスラスラ…とは行かないまでも、白い原稿用紙を前に途方に暮れる状態からは一歩抜けているだろう。


 そして最終章にある『「作文力」って何だろう?』の項では、作文を評価するのは大人であると前置きした上で「作文力」を「キミたちが大人と対等にわかりあえる力」、「お互いができるだけ正確に自分の気持ちや意見を伝えて、お互いを理解しあうための『技』」と説明している。
 ここは子どもにとっても大切なポイントであるが、大人も十分咀嚼して心に置くべきことだと思う。
 国語教育、国語力についての議論は喧しいが、原点に立ち返って、作文力、もっと大きく国語である日本語の力というのは、こういうことなんだという認識を持たなくてはいけないな、と久々に広げてみました、秘蔵の大風呂敷。


 とは言ってもこれ以上は広がらないので、そそくさと畳んだところで、この書き込みスタイル。即実践という意味では悪くはないのだけど、「作文力」を銘打つにはやや中途半端で、だったら別冊にした方が良かったのではないかと思う。
 作文力=お互いを理解しあうための技、なのだから、書きっぱなしでは、余り意味を成さず、本書の中でも時々「お家の人に話してみよう」のような働きかけはあるものの、書いた作文を評価してもらってさらにステップアップ、という点は期待できない。


 最後まで徹底的に作文力を鍛えようということなら、巻末に送付用の作文用紙などを添えて、それを編集部宛に送ると丁寧に添削指導された作文が戻ってくるなんてシステムは…と思ったら、それは既にどりむ社がやっているじゃないの!→小学生の作文力をアップする通信教育講座「ブンブンどりむ」(齋藤孝先生監修)
 …ってやっぱりあからさまだった?

永井多惠子のあなたとNHK」NHK総合 11/5 OA

 どうでも良いことなのだけど、ここ2ヶ月ほど週に1、2度「斎藤」を名乗る迷惑メールが届く。フィルタが勝手にゴミ箱に入れるのを時々削除するだけで、ほとんど開いてはみないのだけど、いかにも怪しげなURLが貼られている、よくある迷惑メールだ。

 だけど、斎藤。齋藤じゃないけど。

 削除する前にちょっと躊躇してしまうのも事実。

 なんだろう。不特定多数に送られてるの?「井上」さんとか「木村さん」からのメール*1は皆無なので、もしや「斎藤」からのメールなら引っ掛かるとか思われてのピンポイントスパム?、いや、いい加減に更新するか閉めるかはっきりしろよって嫌がらせ?とかたかが迷惑メールに自意識過剰に反応してしまう自分にちょっと凹む。

 あぁぁぁっっっっ。

 削除だ削除だ、行くぞ。


 で、「あなたとNHK

 齋藤孝って人はやっぱりさすがだなと思う。

 「ざっくばらんトーク」というコーナーのゲストとして、NHK副会長である永井多惠子氏とざっくばらんにトークした後、NHKに対する要望を問われた、その答え。

具体的には…あ、ボク、名文とかそういうのが好きなんで思うんですけど、「名曲アルバム」よかったですよね、今でもやってますけど。それでああいう形でね「まっすぐ、真剣」ってNHKってありますね、あのぐらい「まっすぐな道でさみしい」とかね…山頭火ですけどね、或いは「うまそうな雪がふうわりふわりかな」とか「柿食えば」とか、そういうのが情景と共に出て、すっと“NHK”っていうね、10秒ぐらいの潤いが欲しいんですよ、いいですよ、そこにすっと出るとね、あ、NHKしかこういうの、この10秒はくれないなって思うんですよ、すーっと入っていくね。やっぱり「幾たびも雪の深さを尋ねけり」とかって言うと、しゅわーってきますよね、正岡子規の。その10秒の、静謐って言うんですか、静かな時間をみんなにプレゼントできるのはやっぱりNHKかな、と。

 永井さんが「名文スポット」と受けて、「ええ、名文スポット」とタイトルまで決まったところで、そのまま企画書起こせそうな、いや本気になれば翌週からでも実行できそうな企画案。(もしかして、放送日からこれだけタイムラグがあれば、既に放映されてるかも。「まっすぐ、真剣」なら十分あり得る)

 こんなのがさらっと出てくるのよ。

 他のゲストを見たことないけれど、「そうですね、NHKはやはり民放と違って公共放送ですから、公共放送ならではの視聴率や目先の評価に左右されない良心的な番組作りを心掛けてほしいですね。」くらいが関の山だろう。


 でもそんなおざなりなコメント、齋藤孝は許さない。例え番組的に求められているのが、そんなゆるゆる予定調和な様式美だとしても。

 きっとこれ、しっかりした形を成してなくても、企画書らしきものは存在すると思う。「にほんごであそぼ」に続く「監修・齋藤孝」を狙ってる。それどころか、「まっすぐ、真剣。齋藤孝」キャンペーンも視野に入れているかも知れない。じゃなきゃ、この短いコメントの中に

これだけの具体例は出てこないだろう。
 確かに「名文好き」を自称しているけれど、ただ声に出してみただけじゃない。上掲の四句はいずれも10秒程度の映像として表現し易い叙景的な句が選りすぐられている。これらが例として挙げられることによって、聞き手の頭の中にもそれぞれの情景が浮かび、「ああ、こんな感じの10秒スポット」と具体的にイメージできるので、うん出来そうだな、という手応えと共に伝わるという訳だ。
 コーナーの締めのほんの一時の出来事だったけれど、鮮やかなプレゼンを見せられたような感じ。お見事。


 でももっとすごいのはこっちよ。
 なんと!前回ぐだぐだ書いた「紹介シーンにおける所在なさ」が素敵な笑顔に変わっているではないですの。
 しかも番組開始後すぐ、まだ実際登場するコーナーまでには10分以上ある、あのタイミングで抜かれたワンショットでの、笑顔!取り澄ました感じも所在なげな様子も微塵も見られない、迷いのない笑顔。
 ええ、そこは素人(notタレントさん、という意味での)ですからね。多少のぎこちなさは見られました。いえね、逆にそこがいいのですよ。誰がテレビ慣れしてると?調子に乗って出過ぎですと?
 やや引きつりながらも精一杯の笑顔が輝いていて、とても素敵でした。
 男にも愛嬌は必要だけど、こなれ過ぎているよりは、頑張って笑顔作ってる感じが伝わってくるくらいのがいいのかもね、と思いつつ、思いっきり営業スマイルと分かっていても香取の笑顔にはいちいちやられるのもまた真実。
 要は、笑顔はいいよね☆ってことなんだ。好きな人ならなおさらね。そう言えば、私にこっぴどく叱られた後の娘はまだ涙顔のまま「お母さん、笑って」とよく言う。
 よし、笑おう。笑いながら削除だ、「斎藤」

*1:「全国の苗字」というサイトによると、「斎藤」の世帯数は全国17位(齋藤だと320位)井上は16位、木村は18位

第一印象から決めてました

 タイトル変更した途端の連日更新とはなんて天の邪鬼な。
 でもこれが続くとは自分でも全く思っていないので、当面は月記進行で。


 昨日書き忘れたと言ってもわざわざ言う程のことでもないのだけど、それ言ったらそもそもこの日記自体そうじゃないのってことなので、取り敢えず書いてみる。


 この頃のテレビ出演を見ていて少し気になっていること。それは、ゲストとして紹介されているほんの数秒の挙動、振る舞い、身の置き方。
 たいていは「さて、本日のお客様は『声に出して読みたい日本語』でおなじみの、明治大学教授齋藤孝さんです」のような紹介なんだけど、その間、彼はカメラ目線でもなく、司会者の方を見るわけでもなく、正面を向いているわけでもなく、少し伏し目がちに右斜め下辺りに視線を外してちょっとつまらなそうな所在なさを漂わせている。
 そして、「…さんです」に合わせて、ちょっとハッとした感じ―や、今、気づきました、私のことですね、のようなやや小芝居調の―の後で初めて司会者と視線を合わせてぼそぼそと「こんにちは」と言う。これが定番のスタイルだ。
 かなり前にとくダネ!での朝の挨拶への不満で似たようなことを指摘したことがあるような気がするが、その時にはレギュラーだったこともあって、小芝居の匂いは感じられなかった。


 いずれにしてもあの感じは余り頂けない。どうも「好きで出てきてるわけじゃないんすけどね」という、エクスキューズ(誰に対して?)のようなポーズを感じてしまう。
 齋藤クン、テレビに出てくるGO GOと思って楽しみに見ているこっちの気持ちが軽く削がれてしまうんだ。


 気持ちは分かる。いや、当事者じゃないから分からないんだけど、あのほんの刹那、どう振る舞ったらいいのか分からない所在なげな感じは、想像つく気がする。


 何かしら初会合やなんかで順番に自己紹介する時、前の人が終わって拍手なり何なりの一呼吸あって、さて次は私ですね、って場面。
 もちろん次が自分なのは明白だけど、前の人の余韻ってのもあるし、流ればっさり断ってさっさと自分のペースでってのはちょっと違う、かといってこっちだって自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ、拍手終わったね、もういいね、じゃ行くよ、軽く会釈でもして、でも緊張してるのばればれってのも格好悪いから、ちょっと事も無げな感じに振る舞ってみるかなっていうあれ。
 あんな感じなのではなかろうか。


 そんな小市民的な所在ないあの一呼吸。
 でも視聴者側には、その日の齋藤孝(に限らないけど)との最初の出会い、場合によっては、全くのファーストインプレッションを決定づけるかも知れない大事な場面だ。ゆめゆめ疎かにはできない。


 もうこの際、テレビ慣れしてるだの、テレビ出過ぎだのという意味のないバッシングは一切無視して、徹底したイメージ戦略を一義に置き、紹介中はひたすらカメラに向かって満面の笑顔。そして笑顔。スマイルandスマイル。さらにスマイルアゲイン。
 お茶の間にいる数百万の視聴者をイメージして、思いっきりの偽善カットに徹してみるというのはどうだろう。
 批判(或いは誹謗中傷)はインパクトとしては大きいけれど、国民大多数の支持の動向はもっと緩くて大らかだとこの頃思う。
 誰だって不機嫌な人より上機嫌な人の方がいいじゃないか。出し惜しみしてないで、上機嫌力でスタートダッシュだ、齋藤孝



【問】上記の文章の趣旨を10文字程度で述べよ。
【答】もっと笑顔が見たいな♪(記号含め11字)

[TV;他*[J's]]真相報道バンキシャ!(9/17 OA)

 あら、久しぶり。と他人事のように思いながらしれっと始めてみよう。


 大変長らく遅ればせながら、バンキシャ!のビデオをさっきやっと見た。もう見ないのかと思ってた。自分でも。9月17日OA分だもの。
 因みに扱った主なニュースは次の通り。

 ね。ゆく川の流れは絶えずして…などと吟じてあさっての方向など見てみたくもなる程の、隔世の感。はないか。ともかくちょっとした過去の出来事でございましてよ。


 もう一人のゲスト出演にはくらたま嬢というキャスティングの妙に、心躍れど笛鳴らず。やはり、生放送の報道番組コメンテーターに過剰な期待は禁物だった。


 悠仁さま関連では「悠」の字の簡単な解説で静岡名産お茶濁し、吉野家の牛丼については「明大前の吉野家にまず学生を食べに行かせてみよう」と軽い笑いを誘う。
 まぁまぁこんな感じだなと思っていたら、特集の韓国買春ツアーについてのコメントはほんのり齋藤テイストで「自力で口説いてほしいですね」と札束で横っ面張るような疑似恋愛に走る日本の男を憂い、奮い立たせようとの発言で一矢報いた恋愛力の男に対して、くらたま嬢が「愛がない同士でってのは、やっぱりちょっとどうなの?ってのは正直ありますよね?」と受けて、喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!が頭をよぎり、よしよし、いい流れだ、もう一声!と思ったその時、相づちを打つでもなく「じゃ続いてこちらです」という福澤キャスターのぶった切り。CM。
 そして和やかにイチロー200本安打のニュースで番組はエンディングへ。


 教訓。生放送はリアルタイムで見るべし。
 当日は大型台風が九州直撃していて、それで番組開始から中継入った分、進行もかなり押していたのだと思う。
 その臨場感の中に自分も共に在れば気にならないであろう、番組進行の無味乾燥なさくさく感が、時間をおいてゆっくりのったりした傍目八目には妙に気になってしまうんだ。人にコメント振っておいてなんだあの態度は。最後に「今日はありがとうございました」もないぐだぐだなエンディングはなんだ。一人分も時間確保できないのにわざわざゲスト二人呼んでるのはなんでだ。ゲストほったらかしでお菊さんいじりは欠かさないってどういう了見だ………。いやいや。
 右脳だ。ライブは右脳で愉しむんだ。心で身体で感じるんだ。そうなんだ。そうだったんだ。


 そしてもう一つ、生放送の最重要ミッションは本人の安否確認と心得よ。御意。
 齋藤孝に限らずね。
 嗚呼、私の好きなあの人が今日もつつがなく、肋も折らず肉離れも起こさず太りもせず生え際後退もせず逮捕もされずオートレースに転向もせず、こうして元気にテレビに出ている。それだけでいい。ほんの5、60年でいいんだ。


 もうちょっと書きたいことあったんだけど、今日はここまで。
 途中まで書いて、寝かせておくのはやめておこう。ライブ感が大事なんだ。Pop Upだ、TAKE OFFだ!東京ドームオーラスまで、走り抜け。

ダイエッターの飽くなき妄想

 5月に<覚書>欄を復活させてから一度も途切れることなく、齋藤孝の活動予定(主にテレビ出演予定)を載せることが出来ている。
 この欄の情報は全て公式HPからの転載なので、そのご活躍もさることながら、ご多忙の中、HPの更新もまめにされていると言うことで、ファンとしてはありがたいことこの上ない。老婆心ながら小声で申し添えると、バンキシャ!は日テレちゃんですけどもね。


 <覚書>としては載せていないけれど、9/1からは2006年2・3学期の斎藤メソッドの募集も開始されるとのことで(興味のある方は齋藤孝のホームページを参照ください)「やむにやまれぬ事情」で開催できなかった昨年度後期のことを思うと、お忙しい身を心配しつつも、精力的に活動されているご様子は喜ばしい限りだ。
 それでも、残暑厳しい折からくれぐれもお身体には気を付けて頂きたい。本当にそう思う。心から思っているのだけど…


 どうでしょう、拝啓齋藤孝様。ダイエット本を出しませんか。


 もうこの頃、会う人ごとに自虐通り越して清々しさすら湛えながら言い触らし過ぎて、ネタとしての新鮮みを失ったところで、ただ目の前にぶら下がる呆れた日常の贅瘤と化しているのだけれど。
 はぁ…。よし、書くよ。
 帰省していた3週間の間に、なんと3キロも太ってしまうという驚愕の事実を前に、さすがのだら生活推奨のエピキュリアンたる私も、急遽ダイエット生活に入っているような次第でございまして。


 どこかで聞き囓ったような、身体に良さげな体操を自己流に組み合わせて、汗をかき、乱れた呼吸を整えながら、私は思う。齋藤様がダイエット本を出してくれないかなぁ、と。
 身体を動かしながら、「今、私は臍下丹田を意識してるか」とか「ここで、3-2-15の呼吸法だ」とかそういうどうでもい、崇高な齋藤的思考に、ついついはまり込んでしまう。無心にやってればいいのに、性分なんだろうか。


 でも一度そこに捕らわれると、呼吸法はもちろん、なんでも健康法をもっと絞り込めばダイエット編行けるな、とか、「朝は楽しく」で披露していた偏愛マップに「ダイエット系・健康器具」とか「ガッツ系→あっさり系」への食の変化についても書いてたな、そういえばAERA体脂肪率のこと書いてたこともあったな、と好都合スパイラルがぐるぐると渦を巻き、そして更にランナーズハイにも似た、不思議なテンションの中で「見える、私には見える。ダイエットの教祖として老若男女からの賞賛を一身に受ける彼の姿が…」と、いい加減にしておかないと取り返しのつかない域にまで達しかけている。


 まぁ、そんなとりとめのないことをつらつらと妄想しながら自己流な体操を勝手なペースでしていたら、3日で2キロ減という、三十路越えるとダイエットの効果に即効性がなくなるという定説を覆す効果が!!
 …私が出した方が良いのか?ダイエット本。名付けて妄想ダイエット。
 いやいや、企画(!)の時点でここまでの効果。やはりここは御大の御高筆を賜りたいところ。となれば、たのみこむだろうか、やっぱり。

江戸の頭脳に挑戦(8/11 OA)

 てっきり江戸の頭脳に挑戦する側(三宅裕司さん、渡辺満里奈さん等のような。)での登場だと思っていたので、なにかの都合で放映回が差し替えられたのかな、と思いながら、でも内容の面白さに引っ張られてそのまま見続けていたら、すっかり目的を忘れた頃に、案内人的立場で出てこられましたよ。


 江戸の言葉遊びを指南する寺子屋の先生役?で、格好もそれらしく和装(古今東西問わず服飾文化には疎いので、さらっと○○をお召しでした、とか説明が出来ないのがもどかしい。あ、でも袴姿だった)で、なかなかの男っぷり。せっかくなら、めがねも毎日香のさだ吉モデルにこだわってもよかったかも知れないけど、それじゃ男っぷりってより丁稚風ですかね。


 江戸文化の専門って訳でもないだろうし、こういう出方は「ある程度教養あって顔売れてる人」っぽい消費に繋がるような気がするんだけど、番組自体が面白かったので、たまにはこういうのもありかな、と。
 因みに齋藤さんが解説していたのは

此間に御ちさう被下(くだされ)
よほどたべよい
いろいろ御せはに成、
しつれいしごく
の御事ども何
ぶんよろしく
御とりなし可
被下候(くださるべくそうろう)以上。

の文に隠されたメッセージを解く!という江戸の洒落文化。
 曰く、不自然に改行された各行の頭を取り、

今宵しのぶ

というのが真のメッセージで、単なる礼状もしくは請願に見えたこの文、実は付け文だったのね、という一興。
 今で言う縦読みってやつですね。


 さらに魚偏の漢字の読みを五・七・五・七・七で覚える言葉遊びを紹介。

 念なまず
 豊ははもに
 慮はすずき
 堅(かたき)はかつお
 師はぶりと知れ

 出演者と共に音読した後、「リズム・テンポよく音読して声に出して覚えてしまうというのが、寺子屋のスタイル。江戸の洒落文化なんですね」という、ここ!ここ!
 江戸文化より、言葉遊びより、これこそが齋藤孝ならでは、渾身の一言だったんだけど、あっさり流れてはいましたね。残念ながら。


 そして「せっかくですから、ここからは齋藤さんも」でもなく、次のコーナーに移ると、寺子屋の先生コスプレの齋藤さんは密かに場を去り、出番終了。
 いつもなら、長いこと見たのに出番少ないとかぶつぶつ言うところだけど、番組自体が面白かったことと、江戸文化をテーマにした番組で、必要以上にしゃしゃり出ることのデメリットを考えると、このくらいの知的清々しさが程良いのかも。
 番組の内容も齋藤ウォッチャー的にも満足の(これらが両立してるのは、実はかなり稀だったりする)良番組。第二回目らしいけど、第三回目も見ると思う。齋藤起用には余りこだわらなく。


 ところで、今朝の「おはよう日本NHKのタイムテーブルを信用して7時半から見たんだけど、齋藤さんが出演したのは、首都圏だけだったのね。
 帰省先の私が見たのは、「この地方のニュースをお伝えします」でしたわよ。まさか「稲作の一工夫」のトピックに齋藤さんが「農業は腰と肚ですね」と出てくる訳などなく。
 残念でした。

アピール

 この頃、小学生の子どもを持つ友人によく「国語ってどうやって勉強させたらいい?」「作文ってどうやったら上手に書けるようになるかな?」という内容の相談を受ける。一学期の成績表を受け取り、夏休みの宿題を前に、学齢の子を持つ親にとっては共通する悩みなのかな。
 算数ならある程度、勉強のさせ方も分かるし、その成果も分かり易いんだろうけど、国語に関しては客観的な判断基準がないだけに心配も一入なんだろう。


 無駄に国語の教員免許を持っていたり、大手通信教育の添削の内職をしていたりするので、この手の相談は世間話の延長程度によく受けるんだけど、「どーしたらいいんだろうねー、とりあえず本読ませとけば?」なんて使えない返事で適当にお茶を濁していたのは、以前の私。


 今の私は、斎藤孝の実践母親塾―子どもの能力を確実に引き出す! 齋藤孝の勉強のチカラ!を引きつつ、齋藤メソッドの啓蒙に努めておりますよ。
 さらに(ブンブンどりむ関係者さん、よく聞いて)
齋藤孝監修の作文専門の通信教育があるよ」
 と、畳み掛けてみたりもしております。


 もう何人に勧めたかは数知れず。そして十中八九は興味を示し「HP見てみるわ」と好感触。
 局地的に無料体験キット申込が増加していたら、それは私の営業努力の賜かも知れず。
 こんなに無償の愛で貢献してる私を、講演会にご招待しても罰は当たらないと思うんだけど。いや、その後の草の根的広告効果を考えると寧ろお得かも知れないっすよ。